INTERVIEW

移住者インタビュー

根本 ニトロクン 潤さん

有限会社サンユーニ専務・現場監督
2011年東京からU ターン矢吹町出身

根本潤さん(41歳)・父(有限会社サンユーニ代表取締役)

高校卒業後、音楽が好きで音響関係の専門学校へ進学するため上京した根本潤さん。以来、故郷・矢吹町に帰ってくるまで東京で音楽三昧の生活を送っていました。音楽を追求するため会社を辞め、アルバイトをしながら音楽活動を続けた日々もあったと言います。
そんな生活にピリオドを打つキッカケになったのは、2011年3月発生した東日本大震災でした。30有余年前、矢吹町で父が立ち上げた縫製工場を手伝うためUターンを決めたのです。

震災をキッカケに、父の会社に入社。時代に呼応した社内改革に取り組む。

父も高齢で後継ぎもいない。俺しかいない、そう思いました。洋服も好きだし、勤め人より自分で起業して経営していくことが性に合っているとU ターンを決意。震災のあった年の11月に、父の会社に入社。まず取り組んだのが社内改革でした。時代の流れに合わせ「工場」から「工房・アトリエ」と呼ばれる規模まで縮小。パート従業員も全員正社員になってもらいました。これからは小ロットで丁寧な仕事、かつ短納期で納められると考えての事でした。

「丁寧」「迅速」が父からの教え。

私は営業と工房全体の現場監督を担当しています。入社するとき父から「丁寧」「迅速」、この2つは必ず守れと言われました。この2つを守るのはもちろんですが、中でも私が一番大切にしているのは検品です。メーカーやデザイナーによって好みが異なります。
ご要望に100%お応えするのは難しいですが、取引先の信頼を得るためにも最終工程の検品には細心の注意を払い作業に当たっています。

ファクトリーブランド「motone」(モートン)を立ち上げ、矢吹からファッションを発信。

従来の縫製業の他、2012年にはファクトリーブランド「motone」を立ち上げました。モノを作っている人やモノ作りが好きな人がターゲットです。シャツ1枚から始めたブランドですが今では、メンズ・レディース・ユニセックスまで約20種類を超える商品を展開。WEBショップで販売しているほか、那須高原、盛岡、京都、熊本、東京などのショップにも卸しています。今後は海外でも展開できたら、と考えています。また「motone」に興味を持ち、この矢吹町にある工房をオープンにし、ファクトリーショップのような人が集う場所をつくっていきたいですね。

音楽活動は、仕事を頑張るエナジー。

音楽活動は今も続けています。年に3~4回、バンドメンバーのいる東京や札幌でライブをしています。パートはパーカッションです。 ライブを1回やると余韻が3カ月は残るから仕事を頑張れるんです。
なぜ音楽をやめないかといと、老後の楽しみ(笑)。後は、音楽を通じて自分のいまの状況をつかめる 自分を見失わないために音楽を続けている部分もありますね。

移住成功のコツは、目的を持つこと。

UターンにしろIターンにしろ、何か目的を持ってこないとうまくいかないかもしれない。私の場合は仕事と音楽ですが、農業でもなんでもいいと思うんです。矢吹には情報があふれて流されるということもないので、「やりたいこと」に打ち込める環境があります。同時に自分の中の本質を見つめ直し、つきつめるには最高の場所ではないでしょうか。